素晴らしき日々

育児と乳がんと猫

乳がん細胞診

9月1日に、仕事のあと、病院へ行った。

散々待たされ、保育園のお迎え時間に不安になりながらやっと注射針で細胞をチュルっと取り出してもらった。全部取ってくれていいぐらいだ。

最初の乳房に刺すのは痛くなくて驚くほどだったけど、リンパのほうは脇から刺してかなり痛かった。でも予想していたほどではなかった。

エコーで確認しつつだったわけだが、医者の表情が険しく、良性のものではなさそうとのこと。

それは悪性ということで、

それはガンってことですよね。しかもリンパに転移している。最悪な状況。

 

病院が長引いたため、こどもたちは延長保育で待っていてくれていて、おやつを頬張っているところだった。

沈んだ気分で先生にお礼を言って子供を連れて帰り、いつものように晩御飯をして、いつものようにお風呂に入れて…ってやっていたが、もしかしたらガンで私は死ぬと想像したら涙が出てきて、4歳の娘に「お母さん死んだらごめんー」と泣いてしまった。

「そんなこと言わんで!」と怒られた。

2歳のむすこに「おかーさん泣かんで」と何度も言われてしまった。

それから数日、だいぶ時間が経ったせいでおちついてきた。

まだ結果はでていない。

もしガンだったらこどもたちは、夫と親に任せるしかない。

心配なのはこどものことだけだ。

最初はすごく悲しくなったけど、こどもは親に預けられそうだ。

心配だけど…。

仕事を辞めて、ゆっくり過ごそう。

老後の心配しなくて済むし、この先のお金のこととかも心配しなくてよくなるし、死ぬと思うと気が楽のような気もしてきた。生き残る人には申し訳ないんだけど。

だけどもしかしたらを想像して食欲は全くなく、今まで全然痩せる気配が無かったデブが2キロ減。

少しでも体のどこかが痛むと、ここにガンが転移して痛むのだと思えてくる。

全身ガンに蝕まれている気がする。

 

実際にガンだったら私は自分がどうなるか分からん。

医者の前で取り乱すだろうか。

こんなに末期ガン宣告をシミュレーションしていても、現実を突きつけられたら私がどうなるか分からなくて怖い。

だからそれまでの正気のうちにやれることをやらねばと焦って、むすめに前々から買おうと思っていた自転車を買った。それに、こどもが欲しいというものは買い物先で何でも買ってやった。

いつもは些細なことで怒鳴ってしまうけどそんな気力もなくなった。

昨日は前から予約していたものとはいえ、タイムリーにもむすこの七五三の撮影に行った。

夫には言ってなかった。こどもと3人の写真を残したかった。

むすこが小さくて犬みたいでかわいかった。

私が死ぬのか。そればかりぐるぐるしている。

映画を見に行ってみたけど、頭の中を占めるものを取り払うことはできなかった。映画は面白かったけど、それどころではなくて。

かと思えば今日は調子がよくて、ガンのわけがないだろ。と、ガンの予想を全くしないような日だった。

いや、絶対末期ガンで手術できず抗がん剤治療するも徐々に蝕まれて激痛を痛み止めで緩和してモルヒネで昏睡になり死ぬ運命…寿命と受け入れようと思い込もうとする。

きっともう脳に転移していて、どうにもならない。記憶をなくして狂った行動をするかもしれない。

医者に末期ガンと言われるショックをなんとしても和らげたい。

どうなるかわからなくて怖すぎる。

正気でいられる自信がない。

死の宣告を受けられるほどまだ生きてないのに。でもそれが自分を解放してくれる何かかもしれないと期待してしまっている部分がある。あ、仕事辞める口実になるからか。

結果が最悪なものだとしても、治る見込みがあるなら色々な治療に取り組んでいきたいとは思っている。

あの検査以降怖くて酒飲めない。

でも、今日は笑いながら保育園の帰りに公園でむすめと逆上がりの特訓できた。

私はまだ逆上がりできるんだよ。こんなに元気なんだよ…

心の底では全然ガンになっていると信じていない。どうせたいしたことないと思ってしまっている。

だから、ガンを告知された時の絶望がわからない。

これはたぶんガンなんだけど、医者から言われたら頭を殴られたぐらい衝撃だろうか。

脂汗が出でくるだろうか。

私は狂ってしまうのだろうか…。

だから結果を聞きに行く時は家族と来いということだったのだろうか。

明後日、できるだけ家族の人ときてくださいと言われている。

「こどもさん小さいんですよね…」と看護師さんに哀れむように言われて、ああ、ガンなのか。と思った。

ガンなのだろう。

ガンだとして、ステージ何なのだろう。

治るのか治らないのか。

希望が持てるのか、死ぬ決定なのか。

とりあえず悪性腫瘍がどうかは明後日わかる。

衝撃から身を守るために、自分に末期ガンでも大丈夫だと言い聞かせておきたい。

その時までに神社へお詣りに行こうかと思ったが、その時にはすでに結果が出ていて変えようがないのに神頼みとかなんなんだよもうおかしくなってるよ。

運転してて突然泣き出したりする。

みんなとお別れするのつらい。

みんな必ず死ぬのだからみんなとしばらく別れるだけだと自分に言い聞かせたりする。

ガンの検査に行ったよ

22日のことだけど、市から来る無料検診ハガキの子宮頸がんの検査をしにいった。

ガン家系なので私も必ずガンになるはずと思っているので仕事休みの日にいつか行っておこうとおもっていたのだ。

それと、ついでに胸のグリグリもきになっているので乳がんの検査もお願いした。

脂肪の固まりのようなグリグリなので、イメージしているような梅干しの種のような感触ではないけど、何か塊があるようなので心配ごとを放っておくのも気色悪い。

どうせたいしたことないだろうけど、と思いながら出産した産科でみてもらうことに。

子宮頸がんは出産の時と検診車で何度か検査してもらっていて、今のところ大丈夫。こちら今日結果が郵送されてきていて異常なしてヒトパピローマウィルスもおらんようだった。

それより自覚のある乳房である。

エコーの検査で、やっぱり塊がうつった。

10ミリ程度のしこりがあるそうである。

触った感じものすごいでかい塊に感じるのは脂肪と乳腺のせいらしい。

すぐに、総合病院に予約と紹介状を用意してくださった。いきなり月、木、金のいつがいいかと聞かれて、来週の予定が今週決まるような仕事なので、あ、え、月曜日で。と、29日に行くことにすぐに決定。

そして昨日29日。

総合病院へ行った。仕事はあったけど休ませてもらった。

子供を保育園に送って病院に着いたら紹介状持っていくの忘れてて焦った。おっちょこちょいしてる場合じゃやい…

遅刻電話して取りに帰った…

そして、10時の予約からかなり待たされ、マンモグラフィーと、エコーして、触診、血液検査。終わったの14時前。

マンモグラフィー初めてやったが、かなりギチギチに挟まれる。痛い。

精密検査となると、今回針を刺して細胞取るのかと思ったんだけど、それは次回になった。麻酔なしでチチに針刺すのは怖い。チチだけでなく、リンパの腫れのようなものもあるとのことで、リンパも刺される予定。

出産のおかげで痛みに鈍くなってるとは思うけど、怖いわ。

その次は初めてのMRIである。

チチ以外のガンも見てほしいです。

で、さっき思い出したのだけど、去年の秋に女性ガン総合セルフチェックの血液検査をやって異常なしだったのです。

なので、そんなに進行していないと思いたい。

それと、うちガン家系なんだからはやくガン保険入っとけばよかった。

今回ガンじゃなかったら、ちゃんとガン保険入っておきたい。

もしガンだったら、楽しく生きよう。

すぐに死ぬことはないんじゃろ?

こどものことだけ、どうにかしなきゃと。

少なくとも10年は元気に動いて子育てして、倒れるのはそれからにしてほしい。

長く生きれるなら、こどもが就職するまで生きていたい。

もしもダメなら、写真を撮ろうと思った。

まだこどもが小さくて字もまともに読めないし、写真撮って、アルバム作って、色々メッセージなんか書いといたりしたらいいかなあと、仕事中に思っていた。

父は胃ガンで入院してあっという間に死んだけど、あの人胃が痛くても病院で検査とかしてなかったんだから、こんな痛くもない状態ならまだ大丈夫じゃろ。

て、思って安心させようとしてるんだけど、検査次第。

自分ではどうにもできない。

運動はガンに良いので、とりあえず筋トレした。

書いて忘れたい嫌なこと

前回も書いていたけど、オットが嫌いだ。

私が苦しんでいてそれを言うと「お前の考え方が間違っているから正せ」だ。

すこしでも私の大変さに対して何か言ってくれることはない。

とにかく上から押さえつけるように、「頭がおかしいから直せ」という論理だけ言ってくる。

助けてほしいのに、そんなふうに言われて寄り添って生活できるわけがない。

はやく死ね。

そればっかり頭の中をぐるぐるしている。

家を買ったのは私なんだから、お前は出て行けよ。

島根は嫌いだから私もすぐに家を売って出て行くつもりだ。

早く、この苦しみから解放されたい。

楽になりたい。

あの男、憎い。

 

愚痴を書いて書きまくって忘れたいと思っていた。

ここ数ヶ月ぐらい全くオットと話をしたくないぐらいすごい嫌悪感に苛まれていて、その原因が育児をしてくれないだとか金銭的なことだったりとかしていたのです。

自分のイライラする原因は全部オットのせいにして、あいつさえいなければ私はこんなに病気みたいに落ち込んで元気無くなってしんどい毎日送らなくてすむだとか思っていた。

家に帰ってくるとげんなりしていた。

声をかけられることを恐れてオットが帰宅する前には寝たくて子供を必死で寝かしつけて自分も寝るようにしていた。

家に帰ったら早くご飯を食べさせて早く風呂に入れて、歯磨きもしてとにかく早く寝かせてオットに子供に関わってほしくなく話しかけられたくなく、顔も見たくなかった。

理由を色々考えた。

上の子が赤ちゃんだった時、泣いている子をオットに任せていたらキレられた。

「子供をほったらかして世話していないんだろう」と言われた。

当時保育園にも通わせていない時期だったので家にいて一人で子供の世話は全部していた。

24時間トイレすら行く暇をくれないような赤ちゃんである。常に緊張感の中にいた。

オットが家にいる時ぐらい見てくれるのではないかとおもっていた。

そこに対して「ほったらかしているのだろう」という怒声を浴びせかけられて、かなりショックだった。数年前の出来事だったが未だに引きずっている。

多分一生ひきずる。このせいで私は今でも子供は絶対オットに託さないし、育児関係は絶対にオットに頼らないと決めている。保育園の行事があっても一人ではどうにもならないときをのぞき、オットには言わない。

その時ついでに、家事もやってほしいというようなことを言ったのだが、それに対しオットは「俺に全部やれ言うんか」とまた怒鳴り声をあげた。

幻滅である。そんなことは一言も言っていなかった。

育児で追いつめられている私に対して少しはやさしい言葉をかけてほしかったのだが、この男は自分のことで手一杯だった。

そして、義弟の結婚式の件がある。

私は当時妊娠中だった。上の子もてのかかる1歳児だった。

こういう状態で飛行機で移動し、結婚式に参加し、ホテルに泊まるということである。

これはオットがサポートしてくれるだろうと思っていた。

いや、むしろそれが当然だと思っていたのだが、オットは夜当然のごとく友人と飲みに行くと言う。

1歳のチビと妊婦だぞ。何で置いていけるんだ。血も涙も無いと思った。

私は、そんなことなら結婚式には行かないと言った。

すると怒声を浴びせられた。

なんだったかな。もう、よく覚えていないが、大変に怒鳴られて私が離婚するとわめいた記憶はある。

子供は置いて行けと怒鳴られたのも覚えている。

離婚するし子供は私の物だと怒鳴ってた記憶ある。

その後結婚式へは行ったし、オットは夜は飲みに行った。

オットは自由だ。育児に縛られることは全くない。そのことをどう思っているのだろうか。

常に一人で行動することが許されず24時間子供の存在に緊張し続けるような日々を過ごしていた。

それなのに自由に外へ出られて、自由にどこへでも行くオットがとてつもなく憎かった。憎い。今でも憎い。

あの東京での件は最たる物だと今でも思う。1歳のチビと妊婦をホテルに置いて飲みに行ったあの件は、今でも許せない。

許せないことは他にもある。

オットはテレビが嫌いらしい。

私がテレビをつけていたところ、さも憎々しげに「それ、見るん」と言い放った。鬱陶しいのでテレビをつけるなと態度が言っていた。

テレビを切り、私がぶつぶつと文句を言っていたらゴミ箱を蹴飛ばし「そんなに文句があるなら出て行け」と怒鳴った。

むすめが驚いてものすごい泣いた。

その次の日、アパートを借りようと思い、貯金を下ろして不動産屋へ行った。

当時はもう働いていて、上は2歳で下は0歳だった。

働いていたので実家に帰るという選択が難しく、しばらく他のアパートで暮らして仕事を辞めてから実家に行くか実家の近くに引っ越してしまおうと考えた。

次の次の日にオットが謝って来たのでそれは無くなったが、でていっておけばよかったと今でも思っている。あれは本当に良いキッカケだった。

他には何があったか。

休日は自由にでかけていくオットが目障りで目障りで目障りで目障りで、視界から消えてほしくてしかたなかった。

常に子供の世話するプレッシャーに加えて、オットの存在に寄る不安感があった。

狭い部屋で同居するのはもう嫌だった。

オットが体調を崩して家にいる時の居場所の無さ。狭い部屋が汚染されたような気分だった。

悪い空気に侵されて気がどうにかなりそうだった。

とにかく狭い部屋でオットと生活するのは限界だった。

だから広い家を探した。

幸い私には先祖が残してくれた遺産が多少あったので中古の家が買えるぐらいの貯金があった。

土日を駆使して子供を連れて住宅展示場や中古住宅を巡って家を探した。

オットは何もしなかった。

子供連れで展示を見に行くのは大変だった。暴れるし走り回るので話もうまくできないのだ。

オットは、一度も家を見て回ることは無かった。全く役に立たなかった。糞だ。

そして家を買った。私の貯金だ。

引っ越した。

古い家だが広い。

慣れない状況で精神的にまた参って来た。

オットが2階に住み、私はこどもと1階で生活することになり、オットは更にこどもの相手をすることが少なくなった。

私は仕事に行っている以外はこどもの世話で起きてから寝るまでの間自分の時間といえば仕事が始まるまでと昼休憩ぐらいだが、オットはほったらかしである。

そう、以前私に対して「ほったらかしとるんじゃろうが」と怒鳴ったその言葉をそのまま貴様に突きつけたい。

お前は何一つ育児をしていない。ちょっと休日にたまに料理をするとか、月に1、2回子供を風呂に入れるとか、休日たまに買い物に子供を連れて出るとか、それぐらいで世話していると思っていたら本当に、もう、勘違いも甚だしすぎて、ちゃんちゃらおかしくて、臍で湯が沸かせそうだし笑いすぎて胃が爛れそうだ。

動き回る2歳児が事故にあわないよう常に監視し続けるストレスも知らないお前なんかに、チャイルドシートに座らなくてかんしゃくを起こしている2歳児を無理矢理チャイルドシートに座らせたり、毎日毎日ぶちまけた牛乳をはいつくばって拭いたり、考えて作った料理を全く食べてくれなかったり、しんどくても風邪でも熱が会っても子供の世話をし続けなくてはならないことを、休日に休めないことを、お前は何一つ知らないだろうが。

お前は、一人目が赤ちゃんだったとき、死なないようにしなくてはと思って今まで感じたことも無いプレッシャーの中に何ヶ月もいなくてはならなかった人間の気持ちなど欠片も想像したことがないだろう。

全部私に丸投げにしているくせに、育児していると思っている。

育児だけじゃない。お金のこともだ。

年収を自慢していたが、私に渡してくる金額はその年収のうち5分の一程度ではないのか。残りはどこへ行くんだ。

私が毎日ケチケチ家計簿を付けてはゼニゼニ言っているのに、お前はどんだけお金使い込んでるんだ。

この家を買ったのは私だし、お前の弟の学費とやらの借金も返した。

ありがとうと感謝してくれたこともない。

 

別れたい。

でももうめんどくさい。怒鳴られたくない。疲れた。

明日はいいことがあるといいなあ。というと、むすめが「いいこともあるがね」と言う。

昔のMacを復活させてみた

前回と同じかよ。

昔の機械掘り出して遊ぶ時しかブログ書かないひとになっている。しかも約半年ぶり。笑える。

まだ使えるようでよかった。

バッテリー死んでいるので線が外れると電源が切れてしまう。

Macいじってると昔DTPやってた頃を思い出すよねー。

また印刷会社で働きたいけど育児している人間がそんな納期のあるような仕事に就くのは不可能だわ。

 

古いPCを復活させてみた

古くて使い道のない昔の小さいPCを字を書くのには持って来いだなあとおもってはいたけどXPだったし使い道もないので廃棄処分の扱いをしていたわけだが、ちょっとむすこが寝てる隙に前からちょっとやってみたかった無料のOSで再利用試してみた。

お金かけずにおもちゃが一台できた感じで楽しい。

ロームのOS入れてみた。

家に眠ってるもので再利用PC。字を打つぐらいしかできんけど、ちょこっと使うだけならおもちゃにできる楽しい。

ははは。

今めずらしく夫が子どもを連れて買い物に出ているので、この時間で家の中きれいにしてこんなことして遊べる。

キーボードが小さいと字を打つスピードが早くてええなと思うべす。

これあれ、wifi使えないので外付けのやつで無線ランできてるだが、そげなおもちゃも昔買っていたものの再利用なので昔の無駄遣いも悪くなかったんだと。捨てずにとっとくのはええことじゃと思うね。

二日酔い眠い。

シルバーウィークのこと

いやあー連休でした。
祝日は保育園が休みなので仕事はあっても行かれませんので大人しく休みました。
社畜体質だったので、休み中の出勤もなんとかしたい気持ちはあったけど、預けるところがないんでどうしようもない。
夫は頼りたくない。
この無駄な意地張りが損しているのかもしれないけど、泣く子を抱っこしてもらっていたら怒鳴られた過去があるため、どうしようもない場合を除いて子どもを夫に預けたいとは思わない。
そんなこんなで休んでいた。
特に用事もなかったけど、連休はどこかへ行かねば遊ばねばならぬという強迫観念に突き動かされてお出かけした。
砂丘へ行った。
夫はあまりでたがらないタイプだし、誘っても無駄な過去があるためはなから誘わない。
1人でこども2人連れて片道3時間の鳥取砂丘を往復した。
3歳のむすめが後部座席で1歳の弟の世話をしてくれていて本当に偉かった。
運転しているとこどもの世話できないので、遠出するときはこれは無理っぽい。
ただ、砂丘は本当に楽しかった。
むすこは抱っこ紐で抱っこしていたから、むすめはずっとがんばって歩いてくれて、リフトにも乗ってくれて、砂場で遊んで走って、帰りもよく歩いてくれた。
ほんとうにむすめ最高。

別の日は元会社の同僚と会った。
山陽から山陰まではかなり遠いのに来てくれた。
何年も経つのに全然変わらなくてすごく楽しく過ごせた。こどもをいじくってくれたし。
みんな最高。

そして実家に泊まりに帰り、次の日は母親と連れ立って一日中公園で過ごした。
すごい日焼けした!わたし!

とても充実。
遊んだ連休。

酔っ払って母親に夫の愚痴を喋りまくっていたら、はっきり嫌いと思っていなかったのに、しゃべっているうちに、本当に信頼できなくて苦手な人間なのではないかと思ってきた。
最近は会話をしないことで衝突を回避していたから無難に過ごすことのみだったが、わたしは本当に夫が嫌いなのかもしれないと思った。

実家から戻ってきて夫がいて、より一層避けたい気持ちになった。
何か言ったら怒鳴られるかもしれず、なにも言わなくても怒られるかもしれないという恐怖感もある。

今までももやもやしているのに、更にもやもやする。
自分の意識がはっきりしていないので流されるままに残念な結婚をした私は残念な人間だと再確認。

そんなシルバーウィーク。