素晴らしき日々

育児と乳がんと猫

愚痴を書いて書きまくって忘れたいと思っていた。

ここ数ヶ月ぐらい全くオットと話をしたくないぐらいすごい嫌悪感に苛まれていて、その原因が育児をしてくれないだとか金銭的なことだったりとかしていたのです。

自分のイライラする原因は全部オットのせいにして、あいつさえいなければ私はこんなに病気みたいに落ち込んで元気無くなってしんどい毎日送らなくてすむだとか思っていた。

家に帰ってくるとげんなりしていた。

声をかけられることを恐れてオットが帰宅する前には寝たくて子供を必死で寝かしつけて自分も寝るようにしていた。

家に帰ったら早くご飯を食べさせて早く風呂に入れて、歯磨きもしてとにかく早く寝かせてオットに子供に関わってほしくなく話しかけられたくなく、顔も見たくなかった。

理由を色々考えた。

上の子が赤ちゃんだった時、泣いている子をオットに任せていたらキレられた。

「子供をほったらかして世話していないんだろう」と言われた。

当時保育園にも通わせていない時期だったので家にいて一人で子供の世話は全部していた。

24時間トイレすら行く暇をくれないような赤ちゃんである。常に緊張感の中にいた。

オットが家にいる時ぐらい見てくれるのではないかとおもっていた。

そこに対して「ほったらかしているのだろう」という怒声を浴びせかけられて、かなりショックだった。数年前の出来事だったが未だに引きずっている。

多分一生ひきずる。このせいで私は今でも子供は絶対オットに託さないし、育児関係は絶対にオットに頼らないと決めている。保育園の行事があっても一人ではどうにもならないときをのぞき、オットには言わない。

その時ついでに、家事もやってほしいというようなことを言ったのだが、それに対しオットは「俺に全部やれ言うんか」とまた怒鳴り声をあげた。

幻滅である。そんなことは一言も言っていなかった。

育児で追いつめられている私に対して少しはやさしい言葉をかけてほしかったのだが、この男は自分のことで手一杯だった。

そして、義弟の結婚式の件がある。

私は当時妊娠中だった。上の子もてのかかる1歳児だった。

こういう状態で飛行機で移動し、結婚式に参加し、ホテルに泊まるということである。

これはオットがサポートしてくれるだろうと思っていた。

いや、むしろそれが当然だと思っていたのだが、オットは夜当然のごとく友人と飲みに行くと言う。

1歳のチビと妊婦だぞ。何で置いていけるんだ。血も涙も無いと思った。

私は、そんなことなら結婚式には行かないと言った。

すると怒声を浴びせられた。

なんだったかな。もう、よく覚えていないが、大変に怒鳴られて私が離婚するとわめいた記憶はある。

子供は置いて行けと怒鳴られたのも覚えている。

離婚するし子供は私の物だと怒鳴ってた記憶ある。

その後結婚式へは行ったし、オットは夜は飲みに行った。

オットは自由だ。育児に縛られることは全くない。そのことをどう思っているのだろうか。

常に一人で行動することが許されず24時間子供の存在に緊張し続けるような日々を過ごしていた。

それなのに自由に外へ出られて、自由にどこへでも行くオットがとてつもなく憎かった。憎い。今でも憎い。

あの東京での件は最たる物だと今でも思う。1歳のチビと妊婦をホテルに置いて飲みに行ったあの件は、今でも許せない。

許せないことは他にもある。

オットはテレビが嫌いらしい。

私がテレビをつけていたところ、さも憎々しげに「それ、見るん」と言い放った。鬱陶しいのでテレビをつけるなと態度が言っていた。

テレビを切り、私がぶつぶつと文句を言っていたらゴミ箱を蹴飛ばし「そんなに文句があるなら出て行け」と怒鳴った。

むすめが驚いてものすごい泣いた。

その次の日、アパートを借りようと思い、貯金を下ろして不動産屋へ行った。

当時はもう働いていて、上は2歳で下は0歳だった。

働いていたので実家に帰るという選択が難しく、しばらく他のアパートで暮らして仕事を辞めてから実家に行くか実家の近くに引っ越してしまおうと考えた。

次の次の日にオットが謝って来たのでそれは無くなったが、でていっておけばよかったと今でも思っている。あれは本当に良いキッカケだった。

他には何があったか。

休日は自由にでかけていくオットが目障りで目障りで目障りで目障りで、視界から消えてほしくてしかたなかった。

常に子供の世話するプレッシャーに加えて、オットの存在に寄る不安感があった。

狭い部屋で同居するのはもう嫌だった。

オットが体調を崩して家にいる時の居場所の無さ。狭い部屋が汚染されたような気分だった。

悪い空気に侵されて気がどうにかなりそうだった。

とにかく狭い部屋でオットと生活するのは限界だった。

だから広い家を探した。

幸い私には先祖が残してくれた遺産が多少あったので中古の家が買えるぐらいの貯金があった。

土日を駆使して子供を連れて住宅展示場や中古住宅を巡って家を探した。

オットは何もしなかった。

子供連れで展示を見に行くのは大変だった。暴れるし走り回るので話もうまくできないのだ。

オットは、一度も家を見て回ることは無かった。全く役に立たなかった。糞だ。

そして家を買った。私の貯金だ。

引っ越した。

古い家だが広い。

慣れない状況で精神的にまた参って来た。

オットが2階に住み、私はこどもと1階で生活することになり、オットは更にこどもの相手をすることが少なくなった。

私は仕事に行っている以外はこどもの世話で起きてから寝るまでの間自分の時間といえば仕事が始まるまでと昼休憩ぐらいだが、オットはほったらかしである。

そう、以前私に対して「ほったらかしとるんじゃろうが」と怒鳴ったその言葉をそのまま貴様に突きつけたい。

お前は何一つ育児をしていない。ちょっと休日にたまに料理をするとか、月に1、2回子供を風呂に入れるとか、休日たまに買い物に子供を連れて出るとか、それぐらいで世話していると思っていたら本当に、もう、勘違いも甚だしすぎて、ちゃんちゃらおかしくて、臍で湯が沸かせそうだし笑いすぎて胃が爛れそうだ。

動き回る2歳児が事故にあわないよう常に監視し続けるストレスも知らないお前なんかに、チャイルドシートに座らなくてかんしゃくを起こしている2歳児を無理矢理チャイルドシートに座らせたり、毎日毎日ぶちまけた牛乳をはいつくばって拭いたり、考えて作った料理を全く食べてくれなかったり、しんどくても風邪でも熱が会っても子供の世話をし続けなくてはならないことを、休日に休めないことを、お前は何一つ知らないだろうが。

お前は、一人目が赤ちゃんだったとき、死なないようにしなくてはと思って今まで感じたことも無いプレッシャーの中に何ヶ月もいなくてはならなかった人間の気持ちなど欠片も想像したことがないだろう。

全部私に丸投げにしているくせに、育児していると思っている。

育児だけじゃない。お金のこともだ。

年収を自慢していたが、私に渡してくる金額はその年収のうち5分の一程度ではないのか。残りはどこへ行くんだ。

私が毎日ケチケチ家計簿を付けてはゼニゼニ言っているのに、お前はどんだけお金使い込んでるんだ。

この家を買ったのは私だし、お前の弟の学費とやらの借金も返した。

ありがとうと感謝してくれたこともない。

 

別れたい。

でももうめんどくさい。怒鳴られたくない。疲れた。

明日はいいことがあるといいなあ。というと、むすめが「いいこともあるがね」と言う。